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ミッキーの京王線沿線ぶらぶら日記

ひま人主婦のミッキーが、大好きな京王線沿線を足の向くまま気の向くまま、ぶらぶら歩いて見つけたこと。

調布よさこい 2010 !

調布よさこい1

今日 8月29日は、『調布よさこい 2010』の日でした。

去年も一昨年も東京にいなかったので、見物に行けませんでした。
だから今年は、いそいそと出かけていきました。


調布よさこい2

調布駅から布田駅までの旧甲州街道を午後1時から通行止めにして、各グループが流し踊りを披露します。

調布よさこい3

それぞれ衣装や振り付けにも趣向を凝らして、暑い昼下がり、気合の入った汗だくの演舞!
屋台もいっぱい、見物人もいっぱいで、祭り気分はもう大盛り上がりでした。


調布よさこい4

踊った後の「カキ氷」の味は、そりゃ格別だよねぇ。

調布よさこい8

小さな子もお兄さんやお姉さんに混じって、とっても上手に踊っています。
沿道の見物人からは、大きな拍手が送られました。


調布よさこい6

踊りの先導車には大きなイラスト!!
一般から公募されたものだそうで、様々な楽しい絵が見る人の目を楽しませてくれています。


調布よさこい5

最後は見物人にも鳴子(なるこ)が配られ、すべてのチームが一緒になって全員参加で踊り歩きます。

調布よさこい7

お母さんと一緒に、僕も鳴子を振りながら一生懸命踊っていました。
思わず微笑んでしまう可愛さです。

お祭りって、やっぱり楽しいです。
皆さん、お疲れ様でした!



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ラダックの思い出! (番外編)

インドのジャンムー・カシュミール州の東部、ラダックの中心地レー。
標高約3650mで、かつてのラダック王国の首都だったところです。

今年8月5日の深夜に土石流の災害に見舞われて、壊滅的な被害が出たとニュースで話題になりました。


ラダック1
“S先生の友人の僧侶のお寺の境内にあった仏像”

その後パキスタンの大洪水のニュースにかき消されて、今どうなっているのかは全く報道されません。

実は私、5年前の2005年9月始めに1週間ほどレーを訪れたのでした。

日本人の旅行者はたくさんあるゴンパ(僧院)を訪ね歩くようですが、私が一緒に行ったのはヒンディー語を教えてもらっていたS先生(ラダック文化と言語を専門とする学者のインド女性)とその友だち(インド女性)、さらにその知り合いの夫婦(夫はインド人、妻はアメリカ人)。
だから、ごく一般的な日本人のラダック旅行とは一味も二味も違う珍道中でありました。

訪ねたゴンパはたった一つ。
「ゴンパなんてどこも同じようなものだから、一つ行けば十分だ!」というのが、彼らの主張。

なるほど、ごもっともでございます!


ラダック2
“レー市内の「旧王宮」と山の上の「ツェモ・ゴンパ」”

レーの景色はなかなかユニークで、今までに訪れたインドの他の地の景色とも全く違っていました。
市内の高台にある旧王宮の建物です。今は使われていないので、誰も住んでいません。

さて、私たちのグループはインド人3人、米国人1人、日本人1人(私)という何だかよく分からない国際的な混成グループだったわけですが、あろうことか私だけが到着した日の昼頃から酷い「高山病」になってしまいました。
血圧は200をこえてしまうし、めまいと吐き気が酷く、とにかく気持ち悪くて、それはもう死ぬ思いを経験しました。
「部屋で寝てる」という私に、S先生は「あなたを1人ホテルに残して行くわけにはいかない」と強く主張したので、先生の友人の僧侶がいるお寺に一緒に行って、フラフラしながら撮った写真が最初の写真です。
その後本堂の後ろに敷いてくれた布団の上に臥せっていたのですが、どうにも耐えられなくなって、「お願いだから、、、」と1人でホテルに帰らせてもらったのでした。

送ってくれた運転手さんとホテルのフロントのお兄さんが、すご~く心配してくれてすぐに医者を呼んでくれたりしたのだけれど、私の方は吐き気と戦いながら3階(!)の自室まで、気持ちが焦りながら可能な限りゆっくりと階段を上らなければならないジレンマに泣きそうでした。

そのときのことを書き出したら長々と続いてしまいそうなので、今回はやめておきます。
機会があったら、そのうちに。


ラダック3
“「ツェモ・ゴンパを見上げるレーの中心市街地”

レーの街は周りを山に囲まれて、狭いところに家や店がひしめき合っている印象でした。
宿泊したホテルは市内の中心にあって、小さな街なのでどこへ行くのも便利でした。

この旅は、私にとって非常に印象深く、ある意味で面白く、そして辛い旅でもありました。

酸素ボンベを車に積んで、7人がバンにギュウギュウ詰めに乗り込んで、遥々5400メートル以上の峠を越えて中国との国境にある壮大な塩湖パンダン・レークを訪ねたり。
途中で寄ったレストランで、「トイレは裏だ」というから行ってみたら、瓦礫とゴミが散らばっている「只の戸外」がつまりトイレだったり。
さらに途中の休憩地点で、「ちゃんと囲いのあるトイレがある」と喜んで入ったら、、、
壁に張り紙がしてあって「大便はここにしないこと!」と書いてあったので、ビックリしたり。
もっとも、ラダック専門家のS先生はそんなトイレに目もくれず、「戸外の方が気持ちいいわよ」とサッサと河原に下りていったのでしたが。


ラダック4
“ラダックの田舎の村”

このときに途中の山道で見下ろして撮ったラダックの田舎の村です。
周りの荒涼とした山々と川沿いの畑や集落の緑の対比がラダックの景色の特徴で、とても印象的と同時に驚きでもありました。

車が通れる峠として世界一高い、18380フィート(約5600m)の峠にも行きました。
旧王家の王妃が先生の友人だというので訪ねていったけど、彼女は出かけて留守でした。
ダライ・ラマのラダックの邸宅の前を通ったとき、S先生が交渉したら中に入れてくれたこと。
そしたら、運転手がすご~く感激して地面にひれ伏して祈っていた姿が今でも目に焼き付いています。

G氏が「どうしてもモモ(餃子)が食べたい」というので、S先生が僧侶に頼んでくれて、檀家のお家でラダック料理の夕飯をご馳走になったりもしたっけ。
ポログラウンドにポロの試合を見にも行ったなぁ。

たった数日の旅だったけれど、思い出多いラダックの旅でした。

出会ったラダックの人達は皆とても親切で優しかった。
皆、今度の災害でも無事だったでしょうか?
報道で見た被害地の写真は酷くて、レーの街の中心地にある商店街も壊滅的な被害を受けたように思えます。(レーの街の被害の写真はこちら
皆の無事を心から願っています。

ラダック洪水被害復興支援にご協力頂ける方は→こちらをどうぞ。

「デリーに来たら、いつでもうちに泊まりなさい」とあんなに言ってくれたS先生だったけれど、その後突然の心臓発作で急死してしまって、今はもう会うことはできません。
私より若かったのに、とても悲しい。
S先生、あのときの旅を本当に本当にありがとう!!!


ミッキーのひとりごと: 母の骨折

先月の半ばのこと、一人暮らしの87歳の母が股関節を骨折した。
正式には「股関節頸部外則骨折」とのこと。

宅急便の呼び鈴に、出ようとして布団につまずいて転倒。そのまま動けなくなった。
姉が、その日たまたま直後に訪れて発見した。
ラッキーだったと思う。
でなければ、一体どうなっていたのだろう?

その後上の姉も駆けつけたのだが、不思議なことに本人も含めて誰も骨折していると思わなかった。
「じっとしていると痛くないから骨は折れていない」と思い込んでしまったようだ。
もう少しで、翌日まで様子を見るところだった。

結局夕方救急車を呼んで、病院に行った。
ひどい骨折だとわかって、皆本当にビックリ!!
後から聞いたら、じっとしてると痛くないのは股関節骨折の特徴だとか。

一週間後に、無事に手術をした。
手術前から、おかしなことをいうようになった。
環境が変わったからだと思っていたら、手術の後、夢と現実がごっちゃになって、とんでもなく奇想天外なことをしきりと言う。
中国人からロシア人、モンゴル、蒙古、元の国まで。ご禁制の品々や、美しい羽飾りの付いた帽子など。
盗賊団が携帯電話で呼んだら、やって来たのは何故かでっかいキャデラックだったとか。
その上、ひどい幻覚で、すぐそこにたくさんのお腹を空かせた人たちの顔がずらりと並んでこっちを見ている。私はこんなにご飯を食べられないから、これをあの人達にあげたらいけないだろうかなどと真顔で聞く。
ああ、ついに母は壊れてしまったか、、、そう思ってとても悲しかった。

だが、突然付き物が落ちたかのようにまともになった。
まだ時々変なことを言ったりもするが、穏やかで落ち着いて明るい。
心配していたリハビリも、素直に理学療法士さんの言うことをきいて頑張っているようだ。

まだまだ長い道程だろうが、今のところは順調な回復ぶりである。
退院後のことはまだわからないが、一同ひとまず胸をなでおろした。

医者は「自分で歩けるようには多分ならないでしょうから、車椅子で生活できるようにしましょう」などと始めに言っていたけれど、どうしてどうして、案外スタスタ歩けるようになっちゃうかもしれない。